とかくに人の世は住みにくい

わざわざ当ブログまで読みに来てくださってありがとうございます。趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

文芸春秋の記事「羽生結弦が僕を高みに連れて行く」のタイトルに異議あり

ネタバレになるので、具体的な事をかけませんが。

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記事を読んでみると、大変すてきな記事になっているのですが、

唯一異議申し立てしたいのは、このタイトル。

 

この記事に課金して読まれた方も多いと思いますが、

ネットの吊りタイトルのような、このタイトルはいただけません。

ネイサンが、本当にそのくだりを口にしているならいざ知らず

内容を読んでみても、そのような表現はなかったです。

 

確かに羽生選手との試合は、会場のボルテージは違うし、

ネイサンも、他の選手も励みになる。

でも、羽生さんだけが自分を高みにあげてくれているとは

書かれていないです。

むしろ、この記事は、ネイサンのスケート選手としてだけでなく、

一学生としてのことも書かれています。

 

最近のネイサンを観ていたり、インタビューなどを聞いていると

「特定の選手と競っていない」ということが明確になってきています。

たぶん自分自身と競っているのだと思います。

 

アスリートなので、記録だったり、順位だったりにこだわるのは当然ですし、

努力した結果が、メダルの色になったりするのは、励みにはなります。

 

でも、私たちは果たしてその結果に対してのみ、感動をもらえるのでしょうか。

答えは否!!

その演技を通して、その選手がどれだけ努力してきたか、感じられたか。

そしてその努力と技術力と芸術性に感動するのです。

 

ネイサンにしても、シニアあがりたての頃と、今とではなんだか試合に向かっている雰囲気が違うな、と思っていた事が、この記事を読んで確信に変わりました。

 

シニアあがりたての頃は、結構ヒヤヒヤすることもありましたが、最近はなんだか

安心していました。

それは、五輪前の昌磨を観てた感じと似ている。

 

なので、私は言いたい。

羽生さんがネイサンを高みに連れて行く、のではなく

「自分の周りの人たちが、僕を高みに連れて行ってくれる」が正解で、

「スケートは大切な僕の一部、でもすべてではない」

とするのが正しいのでしょうか。

高みってどこでしょう。

スケオタは、スケート選手としての「高み」は五輪の金メダル!と感じるかもしれませんが、ネイサンはすでに「スケートの高み」だけを目標にしている訳ではないことを言っているような気がします。

 

こう書くと、「スケートに命をかけている選手に失礼」とか騒ぐ輩がいるでしょう。

でも、スケートなんかに命をかけてはいけません。

 

確かにスケートはすばらしい。

私も昨年はどれだけお金をかけたことか。

その時に私にとっては、大切な課金だったのです。

その昔。私はかなりミュージカルに課金していて、今のフィギュアに勝るとも劣らない状況でした。

海外遠征ならぬ、海外鑑賞。ブロードウェイにも行きましたし、ロンドンのウエストサイドにも行きました。

海外旅行の際は、その国の言語のサントラを買い求めました。

今は落ち着いていて、懐かしく聞き返すこともありますが、今はフィギュア1本です。

その時の私には、ミュージカルが必要だったのです。

 

とても仕事で疲れた時、一本のミュージカルを観たら、疲れがすっかり取れ、リフレッシュできたことを思い出しました。

 

でも今はそこまで必要じゃない。

選手だってそういう人もいます。

もちろん一生スケートに関わる人もいますが、生涯選手ができる訳でもないし、

マイナースポーツなので、関われる範囲も限られている。

 

それに一番重要なのは、命に係わる事ではない、ということです。

これがないと、餓死したり、病気になってしまうものではないのです。

多くの人々にとってスケートというものは。

 

そして今一度言いたい。

前にブログでも触れましたが、みなさんは、全世界でフィギュアの人気とか認知度ってどのくらいだと思っていらっしゃるのでしょうか。

 

確かに日本ではかなり人気の競技で、コンテンツです。

ロシアでも、そうです。

でもアメリカでは違います。

バスケ、アメフト、野球ですよ。

ウィンタースポーツでも、スノボとかホッケーです。

 

ネイサンの事を知らないアメリカ人がほとんど。

羽生さんの事だって知らない人がほとんど。

それは事実です。

ネイサンがそれを言っても、失礼とか怒る人がいたら、それは

世界をわかっていない人で恥ずかしいと思った方がいい。

ネイサンは自分の愛しているフィギュアの認知度が低いのに、びっくりしていました。

 

でもそんなものですよ。

 

人の価値観はそれぞれです。

だからと命を賭けている選手に失礼、とまでは言えません。

ネイサンはとてもきちんと、競技に対して真摯な姿勢で臨んでいます。

 

ここ最近の彼の成長は、大学進学をした影響はかなり大きいと思います。

広い世界を感じて、視野も広がり、貪欲に知識を得て、人間的に大きくなりつつあります。

そして恐ろしく客観的に自分のスケート人生、将来のことを語っています。

 

2019年のGPFは

確かに羽生さんとの試合はエキサイティングです。

お互いに高みを目指していくには、試合はもっとも効果的な場所です。

この間のGPFは昌磨がいなかったので、実質ネイサンVS羽生さんの金メダル争いだったというのは過言ではないでしょう。

でも他の選手にとっては、金メダルだけではない目標を持っていた試合であったと思います。

もちろんアスリートは一番を目指しますが、金メダルが取れないからと言って

価値がないものでない、というのが重要なところです。

 

この記事のタイトルのいけないところは、片方の視点からのみ、のものと感じられるところではないかと思います。

しかもネイサン側ではなく、羽生さん側からのものだからです。

 

なんでしょう。

「羽生」とつければ、購読者が増えるとでも?

それならネイサンにインタビューなんかやめてください。

せっかくの記事が泣きます。

このタイトルだって、ネイサンが見たら

「間違いではないけど、ちょっと違うんだよな」

と思うと思います。

偽りなく、この記事通りの事を話していたら、です。

 

でも、そのタイトルを抜いたとしても、とても有意義な課金だったと思われる

記事でした。

 

ますます、今の現役選手は今しか応援できない、と感じ、

チャンスは逃さないようにしないといけないと、今後も課金すべく

節約生活を心がけようと誓いました。

 

みんなそれぞれの形で、限られたアスリート人生の選手たちを応援しよう!

自分の推している選手を辱めないように。

そして推している選手と共に戦っている選手にもリスペクトを。 

 

 

 

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