10年に一度の寒波の影響で、会社の給湯器が使えなかった昨日。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
寒波も大変ですが、相変わらず、コロナとウクライナは解決しません。
(フィギュア団体もね)
2020年から2021年に起こった数々の出来事は、今後100年に大きく影響するのだろうか。
コロナにウクライナ侵攻問題。
どちらも私たち日本人は対岸の火事と思っていなかったか?
先日、こんな記事がSNSに流れて来た。
🕯 Під Бахмутом загинув колишній український фігурист, родом із Харкова, Дмитро Шарпар. Йому було 25 років.
— Danzo.🇺🇦 (@danzo_fs) January 23, 2023
був срібним призером чемпіонату України та ввійшов до топ-10 на Юнацьких Олімпійських іграх-2016.
Наші співчуття родині та близьким фігуриста. pic.twitter.com/2MftWw9hKY
ハリコフ出身の元ウクライナ人フィギュアスケート選手、ドミトロ・シャルパルさんがバフムート近郊で亡くなりました。25歳のときである。
ウクライナ選手権では銀メダル、2016年ユースオリンピックではトップ10入りを果たした。
スケーターのご遺族、ご友人にお悔やみを申し上げます
どうやら戦闘に参加してお亡くなりになったそう。
ご冥福をお祈りします。
しかし、この状態はいつまで続くのか。
コロナもそうだが、いまや一番の問題は、ロシアかもしれない。
こうやって若い才能のある選手が、自国を守るため、亡くなっていくのは、
本当に辛い事。
こんな事がなければ、この3月のさいたまのワールドに出場できていたかもしれないのだ。
自然災害でも同じような事は起こる。
くやしいけれど、それで致し方ない。
人類の叡智を結集しても、まだ解決できる問題ではない。
でも争いは違う。
天災ではなく、人災である。
戦争は本当に起こしてはいけない。
戦争は人を狂気にしていく。
破壊された物は戻らず、復旧にどれだけかかるのか。
何十年もかけて構築したシステム、仕組みづくり、ルール、がたったひとつの
ウィルス、国家元首によって崩れていく様は、砂上の城のようだ。
先日、北海道の酪農家たちのニュースを見た。
戦後、アメリカからトウモロコシの関税を安くしてもらって発展した
北海道の酪農。
今や日本の生乳の生産の50%を占める北海道の酪農家が今、危ない。
燃料費、エサ代の高騰で、酪農家は赤字だらけ。
しかも、間に入っている団体が、メーカーと値段交渉しているから、
エサ代に足りる値上げができていない。
となると負担は酪農家が一番被る事になる。
このままだと、近い将来、私たちは生乳は飲めなくなり、高い乳製品を
海外から輸入しないと口にすることができなくなる。
フィギュアの選手の事も大変、悲しいが、業が深い私は、
自分が将来、牛乳や、チーズ、バター、生クリーム
そして国産の肉が食べられなく将来を想像して、ぞっとした。
第二次世界大戦の時のヒトラーにも、きっと同じ事を感じていただろう、世界中の
人々。
でも人は、忘れる。
あの時感じた恐怖は、時間とともに忘れ去られ、それを記憶している人が
虹の向こうへ行ってしまい、戦争を知らない世代が多くなる。
それでも色んな記録や映画、文献などを見ていれば、記憶をつないでいく事は
出来るだろうが、そんな辛い思いをして、映画とかテレビを見たい若い世代の人がどれだけいるのか。
しかし、今回の危機は今一度私たちに知らない事、忘れていた事を
思い出させた。
今からではもう、遅いかもしれないが、今あるこの幸せは、
先人たちが血を吐くような努力と苦労の上に成り立っているもので、
永久に続くものではないということを、認識しないといけない。
牛乳が飲めないだけならいい。
これから、一生懸命生きていこうとしている若者が、戦争によって
失われていく悲劇。
こんなことが許されていいのか。
これは戦争だけではない。
たった一人の人物では何もできない、と思っている人も多いだろうけれども、
たった一人の人物が色んなところで改革を起こしたり、問題を起こしたりしている。
1人では成し遂げる事はできなくても、きっかけは作る事はできる。
良い事も悪い事も。
という事を胸に刻んでおく必要はある、と思った次第です。
かくいう自分がお気楽であるという事は否定できず、です。
【今日の独り言】
しかし、日本のお気楽だよね。
戦後何年経っているのか
その時と同じ世界情勢、環境でもないのに、同じシステムで貫けるはずがない。
臨機応変にやっていかないと、乗り遅れる。
もう、遅れているけれども。