いやはや。
色々な事が起こりますなぁ。
ちょうど連休中にネイサンの本を読んだのですが、
やはり私たちが知らなかった事はものすごく多かった・・・・・!!
あの本でも氷山の一角なんだろうと思う。
そして、昌磨の件で、SNSで騒いでいる事。
私はその場にいたわけでないし、盲目的なファンではないと思っているのだが
なんだかな、と思う事が多かった。
その選手への気持ちというのは、人それぞれであって、同じではない。
私にも同じネイサンファンがいる。
最推しの次は、
1人はゆまち推し(その前は昌磨だったが)
1人はザギちゃん推し
そうなると、観戦していても、ちょっとだけ意見がずれる事がある。
ゆまち推しは、昌磨にはちょっと辛口になるし。
ザギちゃん推しは、ここ何年か元気がない。
特に推しに、彼女(彼氏)ができたりすると、またその人が気に入るかどうか、なんて
気にし始める。
まるで親か兄妹、親戚のおばちゃんのよう。
かくいう私も、ネイサンについては、まるで親戚のおばちゃん並みに小うるさい
ファンだった。(誰に言う訳でもないが)
この連休中にタロットのとあるコメントを見た。
崇拝について。
【人を信じるのは悪い事ではないけれども、盲目的に崇拝してしまえば、その人のためであるなら、すべてを正義として思って罪を犯してしまいかねない】
これが誰に向かっても、うむむ、とうなってしまう言葉だ。
彼氏彼女の間もそうだし。
親子関係もそう。
宗教関係はもちろんのこと。
ファンとアイドル(スポーツ選手も)も同じく言える事。
この情報過多の時代において、みなさんは何を信じているのだろうか。
もしや、SNS自体を信頼しているのか?
でもその中身を作っているのは、人です。
それも赤の他人です。
それを信じるのか。
今まで自分が見聞きして、信頼を足るに得た人を疑うのか。
いや、人は間違えるが、本質は変わらないので、たまたた間違えてしまったのかもしれない。
たった一回の間違いで、その人の全人格を否定してしまうなんて、厳しすぎる。
そういう突き詰めた姿勢は、逆に、その人のために過度な防御と攻撃を繰り返してしまいかねない。
何が言いたいかというと、
もう少しゆるく見てあげてはどうか、という事です。
自分を含めて、ですね。
信頼するという事は、信じて頼る、ということ。
頼り過ぎてはいけない。
とても美しく、甘美なものであるが、楽しすぎるものには、毒性もあると
いう事だ。
もちろん厳しいご意見も必要な事もあるが、それをするのであれば、
カベに落書き、駅の伝言板、など素性を明かさず言うのはフェアではないと
思います。
信頼に足る人には、それなりの誠意をもって、
それを伝えたい。
そうしたら、もっと世界は穏やかになるのではないかな。
なんて偉そうな事を言いますがNOWVOICEは聞けていない。
スマホを変えたら、なんか立ち上がらなくなってしまった。
なんとかして聞きたいと思っている。
聞いた後で、また色々思う事もあるだろうけれども。
推している選手の事は知りたいな、と思うから。
自分の推しが自分の理想どおりでなかったら。
幻滅するのか。
無理やり思い込むのか。
そういう事もあるよね、と思うのか。
それによって人生の辛さの度合いが違う気がします。