夏のオリンピックが終わり、変則的にもあと半年で冬季オリンピックが
やってくる。
(昔は同じ年だったけどね)
オリンピックというのは、いつもと違う。
勝てるはずの選手が勝てなかったり、本命でない選手が金メダルを取ったりする。
そういう通常とは違う大会で二連覇とか三連覇するというのは、
尋常ではないメンタルと運を持っている。
もちろん努力や才能もいるのだが、それだけでは片づけられない何かがある。
それは参加する選手や、観客が作り上げるもので、実はなんてことない
シーズンの一試合である。(と昌磨先生はおっしゃっている)
しかし、4年に一回しか巡り合わないこの大会において、選手として
2回チャンスが来ることすら難しい。
そして私は半年後の北京オリンピックに思いを馳せる。
非国民と言われようと、なんだろうと、私は、ネイサンを応援している。
昌磨もゆまちも大好きだが、一番は譲れない。
もちろん彼らの活躍も期待している。
ただ、私は平昌のネイサンのキスクラの寂しさが忘れられない。
特に全選手最高得点を取ったFSの時だ。
ネイサンは微笑んでいた。
しかし、隣のコーチ・ラファはずっと無表情だった。
何を思っていたのか。
かのミッシェルクワンなど、実力のある選手のコーチを歴任していたが、
世界フィギュアの金は取れても、オリンピックの金メダルはまだ、教え子では
取れた選手はいない。
知っているのだ。
4年に一回の五輪にいかに、ピークを持っていくのが難しいか。
ネイサンは、チャンスであったのに、それを逃してしまった。
4年後の補償は誰もしてくれないのだ。
そしてもうじき、また4年に一回のチャンスがやってくる。
平昌以来、負けなしのネイサン。
たぶん実力から言っても、怪我などの大きな要因がない限り、
彼が表彰台の中央に立つのは、ほぼ間違いないと思う。
だけど、この間のストックホルムのワールドで、
「勝ち続ける事の難しさ」をネイサンが語っていた。
勝ち続けなくてもいいのだが、その時に「勝てるかどうか」なのだ。
東京五輪で、勝てるはずという下馬評の選手が破れていくのを見て、
ある種の恐怖を感じた。
北京のFSが終わった瞬間、ネイサンは、うれしい涙を流しているのか、
どうなのか。
破れたら泣かないかもしれないが、金メダルだったら、泣くかもしれない。
ラファはきっと泣くに違いない。
泣きながらネイサンを抱きしめるだろう。
そんな姿が見れるかどうか、ネイサンですらわからない、と思ったら、
本当に怖くて、見ていられない。
なんて、来年の事におびえてしまう、真夏の夜でした。
このラファとのゴッツンコ、可愛くて好き。
こんな抱擁が見れるといいな・・・・