とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

自粛警察と過激なファンとの類似点

いまさらネタですが。

自粛警察が問題になっているのは、周知の事実。

 

やっかいなのは、当の本人たちは、正義と思ってやっている事である。

 

他府県ナンバーの車に嫌がらせしたり。

お店に「店を開けるな」とか

SNSで晒して、公開処刑である。

 

最初のころは、感染者のうちに張り紙された例もあると聞いている。

 

www.rieti.go.jp

 

宗教でもなんでもそうだが、正義と銘を打つものの強さというのは、

半端ない。

キリシタンから、統一教会から、エホバの証人、オウム真理教などなど。

 

イデオロギーのためなら、命を賭してしまうもの。

魔女狩りのように、公開処刑をするもの。

形を変えて社会に発生する。

 

正義の鉄拳というのは、どんな場合でも振り下ろしていいのか。

そしてその【正義】とは本当に正義なのか。

正義というものの定義は何か。

 

これはコロナのせいで、世の中すべての人が、この危機にさらされているのだが、

スケオタの世界では、昨日今日始まった事ではない。

 

現役の男子フィギュアスケーターを中傷した、ラジオのパーソナリティは、

番組を降板し、番組自体がなくなった。

 

選手の名前を模した芸名をつけた芸人は、SNSでの攻撃にあい、芸名を変えるまでになってしまった。

 

この選手とトラブルになった選手は、すでに鬼籍に入っているが、

今でもたまに、SNSで悪く言われている。

 

今回のコロナ禍でも、実際に罹患していないのに、うわさを立てられ、

倒産した人もいる。

 

行き過ぎた正義感は、いじめになり、最悪の結果を生む。

SNSで人を攻撃はいけない。

 

匿名性が高く、攻撃した本人たちがだれかわからなくなる。

それゆえ行き過ぎるのだ。

実名を晒した上で、ここまでできるのか、どうか、という事だ。

 

卑怯である。

 

正義という名の元に、その人間に制裁を加えるのは、法治社会において

一般の人には権限はない。

 

ただ、法の元、裁ききれないものも多い。

それが法の限界だ。

でも、その限界を越える、ということは、人の垣根を越えてしまう事ではないか。

 

このコロナ禍で人の価値観は大きく変わったし、これからも変わる事は多い。

 

ソーシャルディスタンスを守って、人との距離を適正に保つと同じように、

自分の感情と理性も適正に保てるようになってほしい。

 

憎むは、人ではない。

 

どうして攻撃してしまうのか。

不安の裏返しなのだろう。

不安で不安で、どうしたらいいのかわからなくて、

攻撃に向かってしまう。

 

 

moc.style

 

コロナ禍の中の攻撃は社会不安。

フィギュアの世界は、たぶん自分の応援している選手が、いままでどおり

良い成績を収められるか、どうか、で騒いでいる感がする。

 

ただ、そんなファンばかりではない。

熱狂するあまり、理性を失っているとしか思えない。

 

一度大きく、深呼吸をして。

もう一度、自分の心に問いかけてみよう。

 

一流アスリートはみんなそうしているはずだ。

自分の好きな人達もそうしているに違いない。

 

今月末で、非常事態宣言が解ける。

その後の世界がどうなるか。

それは私たち一人一人の考えと行動にかかっている。

 

もう一度取り戻そう。

そしてもっとすばらしい世界にしていけたら。

 

こんな中だからこそ、そう強く思う。

 

 

 

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