とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

美しい世界でありつづけるために

美しい、という表現は色んなところで使われるが、

単純に「綺麗」とか「作りが素晴らしい」という造作のものから、

「正確性」とか人の嗜好からくる美しさとか、精神性のものまで色々あるんだなぁと

しみじみ感じた。

            



ただ、これらを集めると、「美しい」というものが、万国共通、絶対性のあるものではないのだ、と改めて認識する。

 

なので、歴代の文豪も、「美しい」という表現を単純に「美しい」というのではなく

他の表現で表していた。

 

体操における美しさというのは、乱れのない演技と着地だろうし、人の心の美しさは

「優しさ」や信念などが垣間見えた時だろう。

 

陸上だって、無駄のないフォームで走り切る選手は美しいし、

泥だらけになって、ボールをおいかけるラグビーだったり、サッカーも

選手の真摯な、そして正直でフェアなプレーとチームをおもいやる気持ちなども

美しいと思う。



しかしそれらは、一瞬なものもあり、とらえどころのないものが多く、

カメラマンが偶然収められたものに、それを見る事もできる。

 

先日、コラントッテのインタビューで昌磨が言っていた言葉

 

「スケートが自信を与えてくれたし、出合わせてくれた真央ちゃんにも感謝してます。向き合い方がどの選手よりも僕にとって素晴らしいと思える向きあい方を今もしている。近くにいたからこそ、スケートというのを、きれいに見ることができると思います」

以前昌磨が

「スポーツとは真剣勝負の先にある美しいもの」という事を言っていたのは、

その根幹には、真央ちゃんの存在が大きかったという事でしょう。

 


単純に根性論ではなく、純粋にその道を究めようとする精神性が

「美しい」のでしょう。

 

そんな彼らが「美しい」といっている世界とその周辺が、

美しくないものに侵されつつある。

 

SNSという便利な情報を伝達できるツールが、色んな物をごったに運んで、

拡散している。

 

今までは、公に公表するとなると、紙ベースになったので、

気楽にあまり深く考えずに拡散すると、取捨選別も困難を極める。

 

そして場外乱闘が多すぎる。

本人たちを置き去りにしている傾向もやや、感じる。

 

それにしても、このTwitterの文字制限の中で、自分の意見を完全に表す事の

なんと難しい事か。

 

それゆえなのか、真央ちゃん(現役時代)も昌磨もそこから離れている。

 

誤解や曲解、敢えての揚げ足取り、綺麗なものもあるが、綺麗でないものも

混ざっている。

世の中もそんなものではあるが。

 

不思議なのは、自分の応援している選手が住んでいる美しい世界の

その他の住人を、貶める意見が多い事。

 

その原因は、何だろう。

他のスポーツ選手にどの程度あるかは、そのコミュニティに参加していないのだが、

現時点でフィギュア選手に対しては、ちょっとアイドルに対してというスタンスに

似ている気がする。

 

そうすると、だ。

自分の応援している選手を理想化して、それに沿った成績でないと、攻撃する、という

感じなのだろうか。

ただ、今フィギュア界を騒がしている特定の選手については、その選手ではなく

その周りの選手に攻撃する、という特殊性がある。

 

その選手さえ、いなければ、なのだろうか。

 

それは大きな間違いであるし、いくら素晴らしい選手であっても、永遠にそれが

保てるわけでもない。

 

最近はそれだけでなく、新しい有望な選手が出てきていても、そのレジェンドの

尊敬の念を忘れてはいけない、だの、いちいちうるさい。

 

競技がアイドル化してしまったのは致し方ない。

多くにはその選手がきっかけの大半を担っているし、本人も平昌後、結婚について

コメントを求められてた時「裏切られた、と思う人も・・・」という発言を

しているので、本人もある程度、そういう傾向にある、というのは認識しているのだろう。

 

そうなると、大変である。

1人の人間、男性、女性である以前に、アイドルでいないといけない、という意識に

変る。

本人もファンも、知らず知らずのうちにそうなっていく。

そこでその選手が、人間くさい部分を公表すれば、少しは収まるかもしれないが、

極端に露出が少なかったり、記事とかで神格化されていたら、偶像崇拝も

進んでしまう。

 

その人がどうしているか、不安になると、人は思いもよらぬ行動に出る。

十戒を取りに、モーゼがちょっとシナイ山に行っている間に、一緒にエジプトから

逃げ出してきた人達は、神様としての偶像として金の牛の像を作ってしまった。

 

見えなくなる不安からですね。

スポーツ選手なので、シーズンオフに姿が見えないのは、致し方ないのですが、

シーズン直前までわからないとなると、ファンとしてもどうしていいか、

もう、精神の制御が不安定になる。

 

そして少しでもその選手の影が見えないか、と情報を漁る。

そうしたところで、ちょっとした事でも反応してしまうのだろうか。

 

もしくは、心の中ではわかっているが、認めたくなくて暴れているのか。

 

隣人を愛せよ、と聖書にもある。

応援している選手の住んでいる世界だ。

もっと鷹揚な気持ちになれないのか。

それとも、そのために粛清でもしているつもりなのか。

 

どちらにせよ、罪作りなものだ。

溺愛されるが故の現象であることは間違いないが、

こうなると人気スポーツ選手は、きちんとマネジメント会社に所属し、

色んな方面の対応に当たらないといけないと思う。

本人が被害に会わなくても、周りが迷惑だ。

 

美しい世界を保つのも、大変なのだ。

 

【今日の独り言】

昌磨のNOWVOICEを聞いて、

「ああ、昌磨の世界は、正直で綺麗な世界なんだな。

そして彼はそれを守るために、力を尽くしているのだ」

と実感した。

 

 

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