とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

ネイサンのSPUR登場によせて

みなさま、こんにちは。

 

なんだか、昼間とても暑かったり、夜は涼しかったりで体調を崩しがちですよね。

私もここ何日か、頭痛と吐き気に悩まされていたのですが、ポカリを2L飲んだら

治りました。

きっと軽い脱水症状だったのだと思います。

みなさまもご留意を!!

 

            


と、そんな日々だったので、SPUR8月号の予約に出遅れました。

(と、これ以上紙媒体を増やしていいのかとも悩んでいたのも一因)

とりあえず電子版を購入して、昨日近所の本屋でも現物をゲットしました。

 

ネイサンのSPUR登場は3回目。

4年ぶりですね。

 

写真含め6P掲載でしたが、そのインタビューでも色んな発見がありました。

・ネイサン、平昌から北京までの道のり

・昌磨とのあゆみ

・スケートと人生

・一問一答から得られたもの

・ファッションとネイサン

 

       


まずは、ちょっと意外だったのが、北京での一番の支えが母、という事。

お母さん思いのネイサンなので、意外ではないのですが、競技では別なのかなと。

平昌の失敗の一因は、ネイサンがまだ五輪に向けて、気持ちなどの準備ができて

いなかった、と言っていますが、もちろんそれはそうだと思います。

シニア二年目、だから。

でも、あの時、SPでのジャンプ構成をラファが4LZ入れるな、といったのに、

家族が「チャレンジすべきだ」という事で入れた、という記事をどこかで

読んだ記憶があります。

 

チェン家は「最大限に努力すること」というのが、教えのようですので、

強行突破しようとしたようですが、ラファの意見は違っていたと記憶しています。

 

あの後、ネイサンは、よりラファのいう事を聞くようになったと思っていたのですが、

やはり身内というか、母なのでしょうか。

精神的な物だけなのか、それとも競技内容に踏み込んだものなのか、わかりませんが、

ラファとお母様、同等くらいではなかったのか。

 

それとも、「自立した選手を育てる」という事で、ラファの手は離れつつあったのか。

それでも昌磨の例もあるので、コーチの存在というのは大きいと思うのです。

いくら、お母様が素晴らしい方であっても、フィギュアでは素人。

このあたり、自分がインタビュアーだったら、突っ込んだかもしれません。

 

家庭の問題なのか、民族的な問題なのか、わかりませんが、

興味深いところではありました。

 

ただ、素晴らしいのは、お母様、かなりロジカル思考の持ち主で、感情的な部分があまり出ない方のよう。

これだけ子供が多いと、つい感情的になってしまうところも出るでしょうに、

見習いたい、というか、自己を律する方法をご教授頂きたいと思わざるを得ない。

 

平昌から北京へ。

ラファはイェール行きを反対していたが、チェン家では、まず学業がメイン。

そのあたりから真っ向反対意見なので、致し方ないのかもしれませんが。

 

結局ネイサンは、ラファもご家族の要望も両方かなえた。

 

メンタルコーチは、元軍人の方で、精神的圧迫から逃れられる方法を教えてもらった

とありましたが、その片鱗が北京五輪の個人戦に出ていた気がします。

 

「僕は幸せだ」と思う事によって、軽減されるストレス。

 

SPの最後のコンボが終わったあたりから、ネイサンの北京までの辛い気持ちと

スケートをやっている幸せ感が混然となって表れていた。

 

最後のガッツポーズはめったにしないネイサンが、ようやく4年かかって

戻ってくるべき場所にたどり着いた事を実感できた瞬間だったのだろうか。

 

顔はこけ、肌は荒れて血色もよくなかった。

すさまじいSPだった。

 

ずっと医療用(N95でしたっけ?)マスクを外さず、

絶対にコロナ感染するもんか、という気迫と、平昌からの連勝からくる

プレッシャーなど、色々なものがごちゃまぜになった、壮絶なストレスが

かかっていたのが、わかる。

 

SPでそのストレスの50%くらいは取れていただろうか。

 

今回のインタビューの文章からすると、遠い昔のようであり、つい昨日の事でもある

ようだ。

 

冒頭1/4くらいでも、いろんな事が思い起こされ、考えさせられた。

 

まだまだありますが、それは次回に・・・

 

 

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