あれから一年経ちます。
待ちに待ったネイサンが金メダルを取った日。
平昌はSPでネイサンがミスをしたので、FSを独りで見る事ができず、
友人と男子FSを見た事も
北京は会社を早退して(いいのか)家で独りでテレビ前のアリーナで
祈るように、見ていた事も、もうずいぶんと前の話。
でも、今でもその時の情景がありありと蘇ってくる。
あの日感じたのは、ようやくネイサンのストレスフルな日々が終わるのだ、という
安堵と、名実ともに世界王者というのが、全世界に知れ渡ったという嬉しさと、
これからもう、ネイサンの試合の演技を見る事ができなくなるかもしれない、という
寂しさなどだった。
SPの時の頬のこけ方、マスクで荒れた肌、イェールに行ったばかりの時も
肌荒れしていたが、こんな感じではなかった。
そしてスケカナでのミス、全米での転倒など、ちょっとした不安感はあったが、
SPの演技を見た後では、FSはSPほど心配していなかったのを思い出す。
いや、ロケットマンはかなり高難度のプログラムなので(といってもネイサンの
プロで高難度でないものなどないが)心配といえば、心配でした。
股関節とかも痛めていたし。
でも、このロケットマンは曲からしても、ネイサンが楽しんで滑えるプロだろうから、
精神的な負担は少しは軽くなるだろうな、と感じていたので、見る側からも
平昌ほどではなかった。
平昌は、真央ちゃんのソチじゃないけれども、「ネイサン、アメリカに帰れないんじゃないか」とまで心配していた。
チャイニーズアメリカンのネイサンが、巨大なスポンサーをひっさげて、
クワドキングと呼ばれて、シニア2シーズン目に五輪に参加した時のストレスたるや。
真央ちゃんと同じくらい、勝つことを期待されていたに違いない。
平昌の「MAO’S LAST DANCER」は涙なくしては、見れなかった。
この映画もネイサンのFSを少しでも理解しようと、レンタルで借りて見た事も
懐かしい思い出だ。
まだ、ネイサンの自伝は読めていないけれども、私たちが
「やっぱりネイサンは天才だよね」と思っていたのは、たぶんネイサンの
地道な血を吐くような努力の結果だったのだろうから、五輪で結果が出せたのは、
本当に良かった。
天才でも、努力する才能がなければ、世界のトップには立てない。
ネイサンは、天賦の才能と、努力する才能、人にサポートしてもらえた運などなど
があったからこそ、だった。
本当なら、平昌から北京までの道のりは、努力云々を除いても、ネイサンの独走だったと思う。
日本の報道では、日本のライバル、とか、死闘とか、色々日本人選手が迫っていた
ように報道されていたが、結果、それは違っていたと思う。
昌磨やゆまちや、才能あふれる選手はいたし、それはそれで素晴らしかったし、
私もワクワクしながら試合を見ていた。
でも、やはりネイサン1強だったと思う。
だから昌磨に「自分がネイサンに勝つということは、ネイサンがミスをすることを願う事だから」と言わしめたのだ。
ネイサンの高難度なプロを、あれだけの安定感で滑れる選手が今後出てくるのか、わからない。
絶対出てこないとは言わない。
だって、記録は塗り替えられるものだから。
でも、それが悔しいとは思わない。
だって北京までの時代は、ネイサンが絶対王者だったのだから。
これからまた新たな王者が出てくる。
ネイサンより、強くて、安定感のある選手が出てくるかもしれない。
でも、私は寂しくないと思う。
あの期間、私にとっての、王者はネイサンだったのだから。
それは誰にも奪われないものだから。
今後、フィギュア界のトップが誰になるのか、わからない。
新たな王者や選手が出てきて、私を魅了するかもしれない。
でも、ネイサンを応援していた、あの日々はかけがえのない日々だったから
新しい推しが出てきても、それはまた別。
むしろ魅了する選手が出てくる事を期待する。
スケート界のために、ネイサンだってそれを望んでいると思う。
ありがとう、ネイサン。
【今日の独り言】
そしてISUは、早く団体のメダルを渡してくれ。
みんなものすごい努力をした結果なのに、放置というのは、スポーツ団体として
あまりに怠慢であるし、スポーツ選手を貶めるものだ。