とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

好きと嫌いは表裏一体

みなさま、こんにちは。

 

オリンピックが終わって、選手が引退したり、プロ転向したり、で

応援する私たちにもひとつの区切りが来ている気がします。

 

自分もどうしようかな、と思っています。

当然スケートは見続けるし、遠征だってすると思います。

無理のない程度で。

 

ただ、一番の推し選手がいない、ということは、自分がどれだけパワーが

出せるのだろうか、という事です。

 

ネイサンがいたから、グルノーブルまで行けた。

アメリカは苦手なので、スケアメなぞ一生行かないと思っていたが、

ネイサンが現役のうち、一度は行きたいと思っていた。

コロナでそれも敵わなかったが。

 

好き、という気持ちはそれだけパワーが出る。

私の友人も、旦那さんをなくされたあと、ソチの真央ちゃんに救われた、と言っていたから。

 

それだけパワーが強い気持ちなのだから、良い方向にも悪い方向にも行く可能性があるという事も気を付けねばならない。

 

とある選手のファンが、暴徒化している問題も、好きすぎるという感情をもてあまし

かつ、その選手があまり姿を現さず、ミステリアス(ちょっと違うか)なものだから、

余計に欲しい欲しいが過ぎて、偶像化してしまう。

 

不安が想像をかきたて、偶像崇拝まで行ってしまうのは、十戒のころと同じ。

 

問題は、好きという強いパワーが、偶像化した、もしくは理想化した自分の都合の

良いイメージから離れた時、その感情がどこに向くか、です。

 

好きというのは、とても難しい。

イヤなところがひとつでも出たら、嫌いになってしまう。(事が多い)

 

でも嫌いは、一つ好きでも嫌いが優ったら、嫌いになってしまう事が多い。

        



負のパワーというのは、とても強いものだ、と改めて感じる。

 

自分が心から熱烈応援している選手が、思い通りの成績を納められなかった時。

自分の理想と希望と一致しなかった時。

好きだから自分の推し選手は責められないし、責める筋合いでもない。

でも、心の持っていく場所がなくなってしまう。

 

ましてや、その選手が〇〇のせい、とか、色んな外的要因で点数が出なかったと

いうニュアンスを口にした瞬間、その持っていく方向が決まる。

 

そういう場合は双方が良くないのだが、これが続くと、まともな人は

「おかしいんじゃないか」と思って心に澱がたまっていく。

 

それがある日、あふれ出て、好きだったのが、嫌い、になったり、

他を攻撃する方向に向いてしまうのか。

 

どちらにせよ、救いがない。

 

私もネイサンに心を寄せ過ぎた時、いきなり冷や水をかけられる事件が

何回か、あった。

別に恋愛対象という気持ちは一切ないのだが、たぶん彼が文武両道で

お手本のような選手と思っているところが大きかったので、余計だろう。

 

あれから、応援する気持ちに少し距離を持たせるように留意した。

 

夢中になって応援すると、一体何が軸なのか、わからなくなる。

自分は、そもそもネイサンのどこを見て、応援を始めたのか。

ネイサンのスケートが好きであって、たとえばプライべートに興味があるのか。

 

そうしたところ、やはりスケートをしているネイサンが好きで、

動画には興味があるが、静止画はそれほどでもない、とか。

ハニトラにかかったら、今後のスケート人生とかスポンサーに影響するんではないか、というオカン的な心配の方が先にたっている自分を発見できたので、

エスカレートせずに済んだ。

 

たぶんアノ事件で心が離れた人と、リア充だな、と達観している人と、

色々いたと思う。

 

           


これは応援する選手に限らず、人間という対象に好意を持った時、

気を付けなくてはいけないことだろう。

 

だから私なぞ、昌磨の方が応援していて、気が楽である。

競技関連以外で、ドキドキしたり、心配したりしないというのは、

本当に競技を楽しめる。

 

しかし、そうもいかないのが、人間というものであろう。

 

まったく、この世は生きにくいものである。

 

【今日の独り言】

何事も過ぎる、という人はカルトにもはまりやすい。

注意しないと、である。

 

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