みなさまこんにちは。
明日からNHK杯というのに、いまさらの事を。
真央ちゃんの「私を越える」観ました。
ただ、まだ一度だけ。
もう一度観る時は、しっかりと正座して、しっかり咀嚼できる状態で観たい。
NHKも、一年も密着していたんですね。
サンクスツアー同様、座長である真央ちゃんに葛藤があったのは当たり前だけど
今更また、「そうだったのだ」と胸が痛む。
真剣に取り組めば取り組むほど、悩みは増えるし、自分だけでないので、
苦労も倍どころではない。
ただ、初日まで悩みながらも、スタートし、今も一日一日大切に
こなしている姿を見ると、感慨もひとしお。
コロナに罹っていた事も知らなかったし。
本当に色んな事を色んな人からの協力を得て、ショーを創り上げているのだな、と
また改めて襟を正す気持ちで、愛知公演を観たいと思いました。
番組の最後に、「自分は弱いか」と聞かれて
はっきりと「弱い」と言い切った笑顔。
そして出来なくなったことに「3A」を挙げた事。
現役時代は、本人もこだわっていた、あの「3A」はもう、跳べない。
それを認めるのも辛かっただろう。
そしてでも替わりに得たものは、「心からスケートを愛している」
という事。
本当に強い人ですね。
自分の一番弱いところなんて、普通は見ないふりしてもいい。
でも、自分の弱さとしっかり向き合う「強さ」が真央ちゃんにはある。
まず、「弱さ」を認識しないと「強く」なれない。
そういう姿に私たちは魅了されている。
そしてまた、ちょっと悲しい思いと嬉しい思いが交錯する記事がありました。
選手時代、私は孤独でした。一人で練習して、誰にも会わず家に帰って、一人で向き合って。つらくてもやるしかないという感じで、自分の気持ちというものがありませんでした。母が亡くなった時は気持ちをシャットダウンして、滑るだけ。ロボットみたいな生活でした。でも、今はリンクに来るとメンバーやスタッフの皆さんがいて、一緒につくり上げている感じがあります。一人ではできないということがむしろ楽しくて、自分の心が開いているのを感じるんです。
やはりそうだったのか・・・
選手時代には、壮絶な孤独と戦っていたのだろうとは、推測していたが、
これほどだったとは。
きっとこのBEYONDツアーは、彼女が欲しくてたまらなかったものが
そこにあるのだろう。
今までになかったものを創り上げる喜び。
メンバー・スタッフと一緒に創り上げていく喜び。
辛さも楽しさも悲しみも喜びも、みんなで共有して、マイナス部分は軽くなり、
プラス部分は増幅したものが彼女の心を開いていったのだ。
現役時代、どうしてそんなに強くいられたのだろう。
正直、タラママについていた時、信夫先生についていた時。
技術は教わっていても、メンタルコントロールなどは、自分で全部やっていたような
感じを受ける。
ネイサンだって、昌磨だって自分では抱えきれないので、メンタルコーチや、色んな人に相談したりして、ここまでやってきている。
でも、きっと真央ちゃんは独りだったのだ。
壮絶な孤独と戦って、バンクーバーとソチに挑んでいたのだ。
私たちは「独りじゃないよ」と応援していて、真央ちゃんもそれは感じていて、
リンクでは独りではない、と思ってくれていたとのことだったが、普段の練習は
独りだったのだ。
なぜ神様は、彼女にこうも辛い試練を与えるのか。
乗り越えれる人にだけ、与えるとは言いつつも、そんなの不公平過ぎる。
こうなったら、今後の人生、とびっきり幸せになってもらわないと帳尻が合わない。
だからこそ、彼女のスケートに魅了されずにはいられない。
すべての苦しみ、喜びを乗り越えた、その先にある何かを彼女は
教えてくれるような気がするのだ。
明日からNHK杯。
かつて真央ちゃんも、ここでとても素晴らしい成績を修めたり、
つらい時期を乗り越えたりして、悲喜こもごもな大会だ。
切換て、応援しなくては。
誰を?
スケートを愛しているすべての選手達を。