さすが日テレ。
恐ろしい、テレビ局だ。
ここ、日本のテレビ局ですか?
日本テレビって名前なのに。
だって日本語が伝わっていない。
そもそも当初日テレの担当者が「原作が好きだから、ドラマ化したい」という
想いがあったようだが、結果、そんなものどこにあったの?という報告書だった。
契約書がないまま、ドラマ化するなんて、建設業界じゃあるまいし、
恐ろしい。
もう、それだけで原作者に対するリスペクトがない。
原作が好きなら、どうして原作者の思いを重要視してくれなかったのか。
そして報告書のどしょぱなから、これ。
2 本委員会設置の経緯
(1) 小学館内における検討 小学館において本委員会が設置されるに至った経緯は以下のとおりである。 芦原氏が2024年1月26日にブログおよびXに投稿した「ドラマ『セクシー田中さん』について」が大きな反響を呼んだことから、担当部署だけでなく、会社全体としての対応が迫られることになった。
反響を呼んだことから、対応を迫られる事になった。
コレ、本音ですよね。
人一人命を落とすほどの重大なことであるのと、人が心血を注いで創り上げた
子供ともいえる作品を、いたずらしまくって、穢した罪はどうなるのか。
作家によっては、映像化する際は「お好きにどうぞ」と割り切れる人もいるだろうけれども、そうでない人もいる。
価値感は様々だ。
小学館の対応者も、
「社員Aは、芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。」とあったが、こっちは味方ではないのか。
難しいって、自分の子供だったら、外敵から守るじゃない?
そこに本音が隠れているような感じで、感じ悪い事この上ない。
そして、報告書を読んでいると、本を読むのが苦手ではない私ですら、頭痛がしてきた。
登場人物が多く(それもイニシャル)ちょっと出てきては、無責任な行動をして
その後、出てこない破天荒なドラマのようで、この一件は、なんだったんだろう、と改めて思う。
事の発端から、結末まで詳らかにしたのは良いのだが、ここで、報告書の別紙3を
見て、また驚愕するのである。
第3 プロデューサー 多くの人気ドラマを手掛けドラマ界を牽引してきた在京各社元ドラマプロデューサー5名に、お話を伺った。 (中略)
契約書等、書面について
・クリエイティブな件に関して契約書にするべきではない。クリエイティブなことに関してはプロデューサー、出版社編集担当者をベースに、場合によっては脚本家が入るなどして対面で議論するのが良いドラマを作る秘訣。
・最初に「ここは大事にする」「一緒に頑張ってドラマ作りましょう」などを確認し合う取り決めというのは契約書ではない。契約書というのは放送の回数や金額を決めるもの。中身に関して「できるだけ忠実に」と書いてあっても、できるだけというのは曖昧。だから、そんなものは契約書にならない。
・制作におけるチェックリストの作成も非常に難しい問題。そういうものができてしまうと、何でも規則みたいになる。しかしながら望ましくないと思いながらも、そういうものがないと駄目なところまで来ているのかと、実は心のどこかで思っている。 ・基本的には信頼関係。「原作は必ずしも原作通りに進行すること、および表現することは映像化においてできない場合もあります。ただその善後策についての協議に関しては真摯にお互いに向き合います」程度の誓約書を交わすくらいならあるかもしれない。前提として、少なくとも変わってしまうということは理解していることを、お互いに確認し合い、誠実に向き合うという前提が必要になるだろう。
え?バカ、バカじゃないの?
クリエイティブな面は契約書にするべきではないって意味不明。
原作者がクリエイティブに創作したから、いい作品ができた。
それを無視するなら、もう漫画をテレビ化しなきゃいいじゃん。
いいプロデューサーと脚本家がいれば、いいドラマ作れるんでしょう?
もう、原作自分たちで考えろよ。
一緒に頑張りましょうというのは、さすがに契約書にはその字面そのものは、入れないよね。
バカじゃない?
原作者の了承を得たものにするというのではあかんの?
基本的には信頼関係。
わかってるじゃん。できてないけれどもさ。
こういう調査結果を堂々とHPに出しておかしくないと思っている会社は、
もうヤバイ。
この調査もやらされ仕事でやってるんでしょう?
そう取れたよ。
調査結果については、もう語る価値もない。
芦原さん、悲しかっただろうな。
自分が悪いと思ってしまう方だったのか。
私だったら、もう、途中で弁護士入れて、闘う準備をする。
このブログを読まれている方は薄々お気づきかと思うが、私はかなり
闘うタイプである。
でも、巨大な出版社とテレビ局相手では、さすがに自信がない。
繊細な心を持たれている方だと思う。
作品を読んでもわかる。
ここまで解釈を変えてしまうのであれば、なぜこの原作でなくてはならかなったのだろうか。
単なる設定とタイトルだけが面白いと思ったのではないか。
こういうテレビマンがいるから、脚本家が育たないし、原作なしのドラマがだんだんとなくなっていくのだ。
今テレビを見ても、原作漫画、というものがどれだけ多いか。
漫画家の凄さがわからないのか。
漫画家の方は、脚本から監督、プロデューサー、芸術、役者、すべて一人で作り上げている。
その中の一つもまともにこなせない人たちが、偉そうに闊歩しているこの不条理さ。
元々、日本のテレビ局には良心がないとは思っていたが、今回の件と
昌磨のインタで、開いた口がふさがらない感じだ。
こんなテレビ局が24時間テレビのチャリティーなんかやるのか。
終わってるな。
じゃどこのテレビ局ならいいのか。
わからない・・・・・