久しぶりにブログに手を付けます。
5日ぶりくらいですが、できるだけ間を空けないように!と思っていたのですが、
ここのところうまくいきませんでした。
仕事が忙しいのと、体調不良なのと(コロナではありません)
ちょっと気分が落ち込んでいたから。
そして最大な理由はワールドが開催されなかったから。
ものすっごく楽しみにしていたので、正直、「ワールドまで頑張ろう」と
思っていたのが、プツンと切れてしまったのでしょうか。
今は、テレビをつけても、ネットを見ても「コロナ」ばかり。
自粛疲れ、というのはわかります。
でも、そんな事を言っている場合ではないのです。
今回は自分を含め、自分の大切な周りの人たち、そして自分の国と
世界をこれ以上、ウィルスにやられてしまわないためにも、一人一人が注意するしかないのです。
これは人災ではないです。
天災なのですから。
少し前に、朝日新聞の有料記事に日本国際文化研修センター准教授の磯田道史さんが
「新型コロナ、与謝野晶子の教訓」という記事を寄稿されていました。
(有料記事ですので、リンク先を読まれる方は課金してみてください)
感染症を封じ込めるためには、国民も隔離閉鎖である程度、自由の制限を受け入れざるを得ないというのが、歴史の教訓だと思っています。法律は人間の脳の中で理想の世界をつくりますが、自然はそんなことを考えてくれません。
全国一律に学校を休校するという政策を、国民が批判するのは当然です。感染地域ごとに細かく対応できればよかったのでしょうが、それでは時間がかかります。まずは大方針を広げ、その後、少しずつ変えていくべきです。歴史を鑑みるに、基本線において学校を閉じるということが間違った判断だとは思いません。ウイルスに対しては、情報がない中で闘わないといけないのです。その際に、歴史は大きな示唆を与えてくれます。
大正時代にスペイン風邪が大流行して、日本の人口の1%が亡くなったそうです。
当時5500万人。現在は1億2680万人。いま1%と言ったら、126万人です。
医学の進歩等考えたら、そんなにはならないでしょうが、バンデミックが起こったら、
このくらいには、なる、ということですね。
当時も人の「密集」と「移動」で多く感染が広がったそうです。
今ほどマスコミも発達していないので、情報伝達は遅く、正確なものではなかったので、国民が皆、気を付けるようになるには時間がかかったでしょう。
当時有名な脚本家の島村抱月も、このスペイン風邪からの肺炎が死亡の原因ともいわれています。
3/30現在では、有名人では、阪神の藤浪選手など。
芸能界では、志村けんさんが本日逝去されました。
当時もどうやら後手後手の泥縄式の対処だったらしく、しばらく映画館なども空いていたそうです。
100年前の対応をまた繰り返してしまうのか。
つい最近でもヨーロッパ、NYの例を見てみないといけない。
みんな比較的気楽に過ごしていたら、今となっては、というケースです。
若い方など、無症状感染者が高齢者を感染させてしまうこともあるかもしれない。
「自分は罹らない」ではなく、
「自分は罹っているかもしれない」という意識が重要です。
正直私もクタクタです。
気分転換したくても、出かけられない。
友人と会って、スケートトークしたくてもできない。
でもここを我慢しないと、元の世界へ戻る時間が先延ばしになってしまう。
最悪、戻れない。
なんでもワールドを8月にやる、なんて能天気なロシアのマネージメントがいたそうですが、それもあやしい。(いや、無理だろう)
GPSだってできるのか、どうか。
10月のJOだってあやしい。
だって、たとえ日本が収まっても、北米やヨーロッパで収まっていなければ、選手は来ない。
正直、このままではロンバルディアも無理だろうし、フランス杯も中国杯も難しいのではないかと思う。
そうなると、スケアメ(ラスベガス)だってきっと無理だろう。
スペイン同様、各国のスケートリンクは遺体安置所になってしまうかもしれないのだ。
私たちはまだいい。
他にベースとなる生活と仕事がある。
でもアマチュアアスリートは、どうなる。
彼らは競技が生活の中心である。
それが奪われる。
私たちがずっと仕事に出られないのと一緒なのだ。
自分と選手が遠いから、実感が湧かないかもしれないが、
よく「会いたいと思う人をたどるには、間に三人入れば、会える」と
聞いたことがある。
自分が世界に通じていることを自覚すべきである。
老男若女、すべてである。
だから、私はネイサンが健やかにスケートが滑れるようになるよう、
じっと我慢することにした。
私ごときが、一人我慢してもどうにかなるものではない。
でも、一人一人がそう思えば、多くの人が実践できる。
コロナがアメリカで流行する前、全米でネイサンは体調不良だった。
ここのところ、気管支が弱くなってきているなーと感じていたけど、
昨年もインフルに罹ったりと大変だった。
彼は全米の時、握手を断っていたらしい。
「移ってしまうといけないから」
ファンのみんなを思う気持ちから故。
その時「握手してあげないと可哀そう」という目の前よりも、
本当にその人のためを思った行動をした若干20歳の若者に
拍手をしたい気持ちでいっぱいだ。
2019 フランス杯の表彰式後のファンサしてるネイサン
懐かしいな、この時代が。
自分と自分の大切な人のために、頑張ってみたい。
政府がどうのこうの言っても始まらない。
これは人災ではなく、天災なのだから。
(もちろん後で人災に発展したものもないわけではないが)
2019年の秋なんて、ついこの間だ。
あの幸せな時代に、もう戻れないかと思うと、呆然としてしまうが、
その可能性だってあるのだ。
昨日まで当たり前だった世界が、今日もあるとは限らない、ということは、
フランス杯で昌磨に教えてもらった。
彼と彼の周りの人の努力で、彼は元のすばらしい世界を取り戻した。
私たちも習うべきである。