Number1009号の連載「私のスケート愛」は読まれましたか?
Numberは、DOCOMOのdマガジンで観れるのですが、
今回のこの連載はスペシャルのようで、見れません。
電子書籍でポチって見たのですが、これまた、泣ける。
真央ちゃんのスケート愛
キム・ヨナの事です。
当時真央ちゃんが思っていた事、今感じている事が率直に語られていて、
それゆえに、泣けます。
あの頃からでしょうか。
採点の疑惑が大きく取沙汰されていたのは。
ソルトレイクシティでも、ありましたが、真央VSキム・ヨナという
ジュニアのころからのバチバチライバルとして報道されていた二人ですので、
マスコミの恰好の餌食となっていました。
正直、私は真央ちゃんの点数が著しく低かった、とは思えないのです。
(3Aの姿勢とかエッジエラーを除き)
ただ、他の選手が異常に高い、と思った事はあります。
採点競技という性質のこの競技は、いつだって採点疑惑は出る。
これについて語りだしたら、お酒を飲みながら24時間でも語れますけど、
今回は、そういうものを語りたいのではなく、
当の本人が何を目指していて、何に価値をおいているか。
そして、私たちは一体何に価値を見出し、それを応援し続けているのか、という
事です。
確かに真央ちゃんに金メダルを取ってほしかった。
でも、金メダルを取れる選手だから、浅田真央に魅了されている訳ではない。
確かにキム・ヨナとライバル関係の時は、「勝ちたい」と思っていたけど、
彼女がいたから、頑張れたり、マスコミに取り上げてもらえてたり、で
端から見たら、とても辛い思い出だろうに、感謝している。
彼女のスケートと生き方に魅了されるのは、この心である。
同じ地区に生まれ育ち、同じような感動をくれるもうひとりのスターが現れた。
藤井聡太。
今や日本で一番有名な高校生だろう。
藤井聡太に熱狂する意味
この「ながいふうか」さんという方のブログを読んで、ものすごく腹落ちしました。
私も地元なので、ニュースで彼の存在を知っていました。
この記事、将棋ファンではなく、フィギュアに置き換えても、しっくりくる。
勝ちたいという気持ちがものすごく強い
将棋にかける純粋さ
しかし何より、以下の言葉がすべてを語る。
史上最年少の17歳で棋聖位を獲得。記者会見で「AI時代の棋士の在り方(存在価値)」について問われた藤井聡太棋聖はこう答えます。
「AIの時代においても、盤上の物語の価値は不変で、
自分自身そういった価値を届けられればと思っています」
この時期、将棋ソフトとかボナンザが出てきて、棋士は自分たちの価値が
どうなるのか、不安になっていたと聞きます。
しかしこの齢18歳の少年棋士がきっぱりとAIの価値と人間vs人間の対局は
別物であり、価値がなくなるというものではない、とはっきり言ってのけたのです。
フィギュアも同じような状態になっている気がします。
AI=高難度ジャンプ、いいのかな、と。
(でも私は年齢制限を掛けるというのは、ちょっと違うと思っている)
真央ちゃんのスケートは3Aというイメージが強いかもしれない。
スケオタ以外は。
でも本当の価値は、彼女の氷上の滑りにある。
彼女の滑りに、不変の価値を見出し、勇気や、感動をもらった。
どんな競技においても、勝つだけではなく、勝負の先にある「何か」で
私たちに感動をもたらしてくれる。
もちろん4回転や3Aのジャンプには感動する。
それを綺麗に決めた時、成功するまでの努力がそのジャンプを通して
私たちに感動をくれるのだ。
だから「勝つ努力はすばらしい」が「勝たないと死も同然」という考え方は、
ちょっと違うと思う。
そんな事を言ったら、試合ごとに1人しか認められない。
感動は人と人との真剣勝負からも生まれる
感動は一人だけからもらえるものではないと思う。
真剣勝負、というのは、VS人間との切磋琢磨から生まれるのだ。
人間が限界を越えて努力して、それが達成できた時。
たとえ負けても、勝負の間に生まれる感動はあるし、相手があってこそ、
名勝負が生まれる。
勝たないと、記録がないと意味がないというものではない。
そんな事言ってたら、人の価値が危うくなる。
この二人が、価値を正してくれた気がする。
真央ちゃんも本能的にわかっている、というのが、このNumberの文章を読んでわかります。
だからこの人たちには、感動させられるのだ。
もちろん今回は明記してないが、宇野昌磨も同じ系譜だと信じている。
【今日の独り言】
最近あんたは、フィギュアファンなのか、将棋ファンなのか、と言われそう
ですが、私は真剣勝負している人のファンなんだと思う。
もちろん一番推しは、真央ちゃん。
時点で、ネイサンなんですが、
藤井君との共通点はフワフワです(笑)←違う。