とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

アスリートにとって、私たちにとって、オリンピック・パラリンピックとは。

 今日、真央が行く!の放映と為末大さんのNumberを読んで、大切な事を

思い出しました。

 

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これまで、コロナ禍の中、人間の生命とスポーツイベントと、どちらが大切なのか。

 

答えが出ませんでした。

 

 

 
 
 
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でも、「真央が行く!」の中のパラアスリートは、アスリートとしてだけでなく、

家族への感謝のしるしだったり、一緒に頑張ってきた今は亡き仲間へのオマージュだったりということを話してくれていました。

 

彼らにとって、スポーツとして頂点を極めた上で、その結果を自分以外の誰かにプレゼントしたい、という気持ちが大きいように感じました。

 

今まで応援してくれた、家族仲間に一番応えられる形なんだと。

 

あとはアスリートの存在価値です。

 

普通の世界選手権でメダルをとっても、五輪に出場するだけで、世間の反応が違う。

やはり応援してくれるファンと世間の人々の反応というのは、アスリートの肥やしとなる。

 

大きな差をもたらすのは、選手がどう認識するかより世間の反応です。同じメダリストでも、世間がオリンピックに対してより大きい反応をする。となると、選手は当然オリンピックを目指します。

number.bunshun.jp

 

それと、スポーツとかエンタメの人が一番傷ついているのは、「自分たちは結構軽んじられている側にいたんだな」というのを世間の反発から感じたからだと思うんです。コロナによって、みんなが日々の営みになくてもいいもの、なくちゃいけないものをランク付けしていった中で、「みんな、本当は私たちをあまりいらないと思ってたのね」と

number.bunshun.jp

 

生きるか死ぬかの二択においてだったら、スポーツというのは、切り捨てられるものかもしれない。

 

でも、生きるよすが、とは成りうる。

みんな簡単に「命より大切なものはない」といいつつ、普段からそんなこと意識している人がいるとはあまり思えない。

少なくとも、先進国と我が国日本では。

死と隣り合わせの国に生きている人にとったらそうかもしれない。

でも、そういう人たちこそ、生きていく力になるものが必要。

 

宗教だったり、音楽だったり、勉学だったり、スポーツだったり。

希望とか、エネルギーとか、物質的なものではないんですよね。

 

まだ、五輪はできると思っているのか、とアスリートに言葉を投げつけないでほしい。

五輪以外の大会に関しても同じ。

 

できると思っていないとできません。

だったらやるな、と言うのですか?

自分たちが景気が良いときはチヤホヤして、ポイ捨てですか?

 

そんなんじゃない。

そんな簡単なものじゃない。

 

でも、コロナで何もかも崩れた、と思っていたけど、元々顕在化していない問題が、

早くあぶりだされたかもしれない。

 

私は、少なくとも、フィギュアを見て感動して、パワーを貰って

「明日も頑張ろう」と思ったから、感謝している。

 

だから、最後まで希望を持ちたい。

 

【今日の独り言】

森さんの発言、あれは女性蔑視でなく、自己中から出たものだよね。

しかし、視野が狭いお爺さんだな。

 

 

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