とかくに人の世は住みにくい

(一応)ネイサン・チェンファンのブログです。その他趣味、日常、時事問題 何ということはない事を呟きます・・・

一流アスリートがすべて人格者である訳ではない。

ネイサンの世界最高得点の喜びに浸っていても、色んな出来事が持ち上がり、

世の中を騒がせている事がある。

 

五輪とかによくある、不正ジャッジのようなものだ。

 

ジャンプの服装規定もそうだし、スノーボードの反則もそう。

 

負けて敗退なら、致し方ないが、あいまいなルールで反則を取られるのは

たまったものじゃない。

 

ショートトラックにも同様の問題が出ているようだ。

 

そういたら、元フェンシングの太田さんが、ツイートしていた。

 

彼は、この度IOC委員となった。

これは大きな一歩なのだ。

 

五輪のルールは、度々変更になる。

IOCの委員がいない日本がメダルを獲ると、改定がある、と言われていたが、

やられっぱなし、ということだろうか。

バサロにしても、ノルディック複合のジャンプの加点にしても、柔道にしても。

 

ただ、きちんと説明をしてくれれば、そういう訳でもないかも、とも思っている。

たしかに背泳ぎで潜って泳いだ方がスピードは出るし、ジャンプとクロスカントリーの

配分は公平でもあるべきである。

(柔道に関しては、文句はあるが)

 

大田さんの言うとおり、ルールを決めているのは、同じ人間であるが、文化と価値観が違う人と擦り合わせるのは、ものすごく大変な事だろう。

 

大切にしている部分が違う、というだけでルール作りは困難となる。

 

だから色んな国の人間を交えて、話し合い、決定することが重要。

そのテーブルに就かないといけない。

 

名誉職で行くのではなく、太田さんのように、必要性を感じて就いてもらう事が重要だ。

 

意思決定機関に日本人がいないと、日本の文化も日本人もわかってもらえない。

 

話はずっとそれているが、今回は五輪の色々なルールについてだけでなく、

平等性の問題もある。

 

過去のまま放置されている、様々な決め事、慣習、ルールなど

改善する必要がある。

 

それに日本人が介入でないないという事は行けない事である。

 

スポーツは真剣勝負である。

だからルールを決める側も真剣に決めなくてはならない。

 

すべてに平等とはいかないだろうが、できるだけ平等に近づける事が必要。

 

元アスリートがもっとも意見を持っていると思う。

がしかし。

元一流アスリートがすべて素晴らしい人格者で、聡明であるとは限らない。

 

一流アスリートが頭がいいのは、認める。

勉強ではなく、地頭はいいだろう。

 

でも、ルールを決めたり、討議するには、マナーと人を思いやる気持ちがないといけない。

 

しかし、アスリートというのは、自分勝手な人も多く、えてしてそういう人間が

結構強かったりする。

 

もちろん人格者もいる。

しかしすべてではない。

 

マスコミが装飾した文章でなく、その選手が発する言葉(カットされている場合もあるから注意)、その選手の立ち居振る舞い、などをよく見ていれば、きっとわかる。

 

そして、マスコミ報道されているものと違和感を感じたら、それが正解なのかもしれない。

 

事実のみを見るしかない。

 

もちろん色んな寄付だったりしているアスリートもいる。

寄付しているから素晴らしい訳ではない。

 

その人が一番大切にしている競技に対して、どうやって向き合っているか、というところが重要なんだと思う。

 

勝つことだけでなく、どうやって向き合っているか、だ。

 

その選手の行動ひとつ、でいろんな事件が生まれてしまうのは、有名税という事

以外に、あおり事故のようなものもある。

 

そのあたりを注意しないと、裸の王様ができあがってしまう。

 

その人の責任でもあるが、応援するファンの責任もあると思う。

 

不特定多数であるので、特定はできないが。

 

応援するのも骨が折れるのである。

 

    f:id:akochanm:20220209153457p:plain

 

 

【今日の独り言】

フィギュアのSPの後の会見は気持ちのよいものでしたね。

三人がお互いをリスペクトしあう。

お手本のような、会見でした。

 

 

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村