ネイサンの世界最高得点の喜びに浸っていても、色んな出来事が持ち上がり、
世の中を騒がせている事がある。
五輪とかによくある、不正ジャッジのようなものだ。
ジャンプの服装規定もそうだし、スノーボードの反則もそう。
負けて敗退なら、致し方ないが、あいまいなルールで反則を取られるのは
たまったものじゃない。
ショートトラックにも同様の問題が出ているようだ。
そういたら、元フェンシングの太田さんが、ツイートしていた。
スポーツに限らずに国際機関の意思決定の場所に日本人を送る必要性を切実に感じる。
— 太田雄貴 YUKI OTA (@yuking1125) February 9, 2022
大切に守っているルールも誰かが作っている。
異なる言語、文化、価値観の人たちと仕事をする難しさは僕も常に痛感している。
だけど、諦めたらそこで終了なので、自分を奮い立たせるようにしている。
彼は、この度IOC委員となった。
これは大きな一歩なのだ。
五輪のルールは、度々変更になる。
IOCの委員がいない日本がメダルを獲ると、改定がある、と言われていたが、
やられっぱなし、ということだろうか。
バサロにしても、ノルディック複合のジャンプの加点にしても、柔道にしても。
ただ、きちんと説明をしてくれれば、そういう訳でもないかも、とも思っている。
たしかに背泳ぎで潜って泳いだ方がスピードは出るし、ジャンプとクロスカントリーの
配分は公平でもあるべきである。
(柔道に関しては、文句はあるが)
大田さんの言うとおり、ルールを決めているのは、同じ人間であるが、文化と価値観が違う人と擦り合わせるのは、ものすごく大変な事だろう。
大切にしている部分が違う、というだけでルール作りは困難となる。
だから色んな国の人間を交えて、話し合い、決定することが重要。
そのテーブルに就かないといけない。
名誉職で行くのではなく、太田さんのように、必要性を感じて就いてもらう事が重要だ。
意思決定機関に日本人がいないと、日本の文化も日本人もわかってもらえない。
話はずっとそれているが、今回は五輪の色々なルールについてだけでなく、
平等性の問題もある。
過去のまま放置されている、様々な決め事、慣習、ルールなど
改善する必要がある。
それに日本人が介入でないないという事は行けない事である。
スポーツは真剣勝負である。
だからルールを決める側も真剣に決めなくてはならない。
すべてに平等とはいかないだろうが、できるだけ平等に近づける事が必要。
元アスリートがもっとも意見を持っていると思う。
がしかし。
元一流アスリートがすべて素晴らしい人格者で、聡明であるとは限らない。
一流アスリートが頭がいいのは、認める。
勉強ではなく、地頭はいいだろう。
でも、ルールを決めたり、討議するには、マナーと人を思いやる気持ちがないといけない。
しかし、アスリートというのは、自分勝手な人も多く、えてしてそういう人間が
結構強かったりする。
もちろん人格者もいる。
しかしすべてではない。
マスコミが装飾した文章でなく、その選手が発する言葉(カットされている場合もあるから注意)、その選手の立ち居振る舞い、などをよく見ていれば、きっとわかる。
そして、マスコミ報道されているものと違和感を感じたら、それが正解なのかもしれない。
事実のみを見るしかない。
もちろん色んな寄付だったりしているアスリートもいる。
寄付しているから素晴らしい訳ではない。
その人が一番大切にしている競技に対して、どうやって向き合っているか、というところが重要なんだと思う。
勝つことだけでなく、どうやって向き合っているか、だ。
その選手の行動ひとつ、でいろんな事件が生まれてしまうのは、有名税という事
以外に、あおり事故のようなものもある。
そのあたりを注意しないと、裸の王様ができあがってしまう。
その人の責任でもあるが、応援するファンの責任もあると思う。
不特定多数であるので、特定はできないが。
応援するのも骨が折れるのである。
【今日の独り言】
フィギュアのSPの後の会見は気持ちのよいものでしたね。
三人がお互いをリスペクトしあう。
お手本のような、会見でした。