昨日、自分の推しの選手が全員メダリストになったので、
今日は録画巡りに忙しいのと、ハーフパイプとか見ていて一日が終わりました。
すごかったですね。平野歩夢くん。
解説者もすごかった。
あんなにクルクル回るエアーの技の名前(たくさんあるのかな)を
瞬時に口にできる知識。
予定構成ってあるのかな、と解説を聞いていると、他の選手の点数を見ながら考えてるって言っていたので、そういうのはないのか、と。
ただ、その選手の得意技はあるようで、そこを押さえておけばいいのだろうが、
世界各国の選手のを全部覚えていられるわけもないので、
やはり動体視力とか知識量がすごいのだ、と勝手に判断した。
違うかもしれませんが。
話を戻すと、平野くんの決勝の2本目。
素人眼に見ても素晴らしい出来ではなかっただろうか。
素人と言っても、ある程度フィギュアを見ているので、高さと回転、着地などは
ある程度見る目があるのと思っている(ほんとか)
でも、点数はそれより難易度が低い選手(と解説者が言っていた)に及ばなかった。
平昌の時も、そうだった気がする。
平野君の方がショーンホワイトより難易度が高かったが、なんでもグラブだったかな。
ボードを持つ手とかがなんちゃら、とか言われて点数が出なかった。
これは・・・・と思ってしまった。
やはり五輪というのは、欧米のスポーツの祭典なんだろうか、と悔しい思いをした。
しかし平野君はすごかった。
プレッシャーのかかる三回目に、二回目のそれ以上に完璧に滑って見せたのである。
そして有無を言わせず、点数をもぎ取った。
そのあとのインタビューで、やはり二回目の点数には納得がいかず、その怒りが
いいパワーになったと。
みんな素晴らしい、と称えた。
確かに素晴らしい。
でも、とんでもないことだ。
もし、それで失敗していたら、銀メダルで終わっていた。
とある記事には、「ジャッジが平野に挑戦状を突きつけた」みたいな事を
書いてあるのもあった。
冗談じゃない。
ジャッジと選手というのは敵なのか?
違うだろう。振り落とすためのジャッジなのか?
前に岡部さんが、「選手を育てるジャッジでありたい」と言っていた。
アマチュアスポーツなら、ジャッジはそうあるべきではないのか。
うちの父の友人で、スピードスケートのスターターをしている方がいた。
もう鬼籍に入られているが、過去、国際大会、五輪などに呼ばれていた。
海外選手からも人気があったそうだ。
競技していた妹に聞くと、「〇〇さんがスターターだとフライングがほぼない」
と。
その方は選手たちの呼吸に合わせてスタートを鳴らしていたようだ。
これもかなりの技術だな、と感じた。
今はもう、人が鳴らしているかどうかわからないが、これも選手を育てる
競技の周辺の人々ではないか。
落とす事ばかり考えているのではなく、全部の選手がベストパフォーマンスできる
試合運営を考えるべきだ。
ましてや、国によったり、選手によって贔屓が入るなんて、問題外だ。
しかし悲しいかな、採点競技にはままあること。
問題は先入観だと思うのだが。
なんと今回のジャッジ等の問題が多いことよ。
コロナ禍で大変なのはわかるが、それ以前の問題ではなかろうか。
素晴らしいパフォーマンナスがいつもいつもできる訳ではない。
その一瞬に賭けて選手たちは切磋琢磨している。
その一瞬を逃す行為はあってはならない。
絶対にだ。
予選トップ通過で、決勝に駒を進めていた平野。その1本目は転倒が響いて33.75点となったもの、続く2本目は「トリプルコーク1440」を決めたうえで滑り切る圧巻のランを披露した。しかし、この得点が予想以上に伸びず、最後の3本目を残して91.75点の暫定2位という状況に立たされたのだ。 これには、SNSでも不服の投稿が続々。米ウィスコンシン州の放送局『Spectrum News 1 Wisconsin』でレポーターを務めるダン・モロイ氏は、「これは完全に茶番だ」と呟いたうえで、「89点をつけたアメリカの審査員も、90点をつけたスイスの審査員も恥を知れ。バカバカしい」と糾弾している。 さらに、米放送局『ESPN』のアリッサ・ローニッヒ氏が「トリプルコークを見逃していたのか?!」と疑問を投げかけると、同局のケリー・コーエン氏も「なんということだ。少なくともアユム・ヒラノは95点以上では?」とリアルタイムで反応。「本当にショック」と動揺を隠しきれない様子だった。
そしてそれに対してきちんと抗議できる組織であってほしい。
今回は本当にラッキーだった。