注意!!炎上案件かもしれません!
びっくりです。
オリンピックの公式の質問に対しての回答ですが。
「〇〇選手のフィギュアスケートが好きです」というのが散見された。
〇〇選手を応援しています、でなく、〇〇選手の、という枕詞付き回答。
あなたの好きな冬季オリンピックの競技を教えてください😉✨#オリンピック
— オリンピック (@gorin) October 10, 2023
言い換えれば、他の選手のフィギュアスケートはどうでもいいか、
あまり好きでないか、なんとも思っていないか、である。
それなら、フィギュアスケートという競技について答えないで欲しいと
思ったのは、私だけか?
今回、その選手についてどうこう言う訳ではなく、その選手について
語る人たちに言いたいと思い、ブログを書く。
まず、質問の意味が解っていない。
好きな競技を聞いていて、好きな選手を聞いているのではない。
もし、特定の選手のやっている競技だから好き、というのであれば、
オリンピック競技について答えないで欲しい。
その選手がいて成立するスポーツではないのだ。
あと、引退したアスリートに対して「選手」呼びをするのは、どうか、ということ。
その選手が引退時に「選手」と呼んでくれ、と言っていたのは知っているが、
それを真に受けてオフィシャルに語るな、という事です。
選手というのは、選ばれて試合に出る人の事を言う。
フィギュアスケートにおける現役をやめて、プロに移行したらなら、選手ではない。
その選手呼びをお願いした人が間違いである。
テニスみたく、プロでも試合に出ているとかフィギュアはおかしい、という屁理屈いうかもしれませんが、それは競技によって色々なので、なんとも言えませんよね。
競技によってシニア年齢も違うし、ラグビーのように国籍問わないものもあるし。
その競技で選手としてやってきたのであれば、引退時にそれを言ってもなあと思います。
だったら、引退せず、試合もでなくて、ショーだけやっててもいいんじゃないのか、と
思います。
(できるかどうか、知らんけど)
他の競技では、
「△△競技が好き。〇〇選手応援しています」、というのはありましたが、
「〇〇選手のフィギュアスケートが好きです」というのは、サクっと見た感じ、特定の選手のみだった。
ちょっと異質に見える。
何かあると、公式にすぐリポストしたり、メールを送りつけたり、する傾向が
見えていた。
素直に、「フィギュアスケート」とだけ答えればよろし。
先日、以下のような記事を見た。
後半は課金しないと読めないが、腹立たしいので、課金はしていない。
「なぜ羽生結弦とそのファンばかり、謂れのない報道をされ、心ない言葉を投げつけられるのか」
この一部メディアや心ない人たちに対する切実な問いかけ、私の元に多く届きます。直接的な、もっと強い言葉も届きます。むしろ後者のほうが多いでしょうか。
もちろんその強さは「羽生結弦という存在」と共にあるが故の強さを内包している、正しい強さなのですが。
これまでの連載で、私はフィギュアスケートのみならず人物史としての、芸術史としての羽生結弦という存在に触れてきました。そして、その「歴史」という点で必要であろうと判断して、羽生結弦に対する一部の報道やSNSによる心ない中傷、羽生結弦のファンに対する揶揄(あるいは冷笑)にも触れました。日本だけの話でなく、世界を見てもかつてのカタリナ・ヴィットやエフゲニー・プルシェンコに対する同様の報道やファンに対する揶揄があったことも挙げて述べてきました。
それでも疑問は残ることでしょう。「なぜ羽生結弦とそのファンばかり」と。
ものすごい、偏った意見でびっくりです。
ほんとに作家かいな。
その作者の記事は、羽生選手のファンがいかに虐げられていて
羽生選手がいかに、世の中で認められていなくて、というタイトルが並んでいて、
「いや、読んだら中身は違うんですよ」と言われても、嘘だろうと思われる。
逆に違うんだったら、この人のタイトルの付け方は、内容と一致など気にせず、
検索に引っかかりやすい語彙を並べているだけか、と思われる。
ノンフィクション作家だか、詩人だかわからないが、ノンフィクション作家なら
リサーチが足りないのと、思い込みが激しく、片方の意見しか集めずに記事にしている
作家ではないかと思う。
ネイサンファンの私が言う。
「だって、特定の選手のファンは、ネイサンを叩きまくっている」
からだ。
ノンフィクション作家の日野百草氏が独自の視点で天才・羽生結弦を解説する。なぜ、彼の演技に人々は感動し、涙するのか。アートの歴史と重ねて見える、本当の凄さとはーー。
アメリカジャッジがスコアを金で買っている、忖度がある。
イェール大学はスポーツ推薦で入った。
ジャンプだけの選手だ。
正しいジャンプは〇〇選手のジャンプだ、などなど、
もちろんそんなファンばかりではない事も知っているし、
ひょっとしてネイサンファンも、攻撃しているかもしれない。
ただ、目立つのだ。
目立つという事は、件数が多いか、行き過ぎているか。
最近は私はXのワードブロックをかけているので、眼にする事は少なくなったが、
それでも目立つ。
先日はネイサンの本の紹介のXのコメントについて、
北京でオーバースコアを取っただけの五輪の偽チャンピオンと呟いていた人がいた。
演技の好き嫌いは、別にいいと思う。
趣味趣向の世界であるので、それについては、いい。
でも、純粋にスポーツの結果について、正当なジャッジをされて、金メダリストになったネイサンに対しての侮辱は耐えられなかった。
本人とその家族、関係者からしたら、侮辱罪として訴えられても仕方ない。
その人は、これは自分の意見であり、民主的で、人権だ。と言っていた。
果たしてこれが民主的なコメントかどうか。
優勝した選手の演技より、他の選手の演技の方が好き、というならよかろう。
まるで不正なジャッジをしたかのようなコメントは、人権をもってしても
発言すべきではない。
そういうSNSが溢れているのに、この作者は、観ていないような気がする。
あくまでその選手側の意見だけを集めたタイトルになっている。
本当にノンフィクション作家でルポライターなのか?
悪いけれども、ルポだったりノンフィクションを語るなら、まず「事実」から
真実を検証すべき。
この方とそのファンは、まずその選手が語る「真実とは」、から入っているので、
すでに周知の「事実」が捻じ曲げられている可能性が高い。
事実は誰が見ても同じ。
でも真実は星野の数ほどある。
ノンフィクションを執筆する際には、とにかく調べることが重要です。
ネット、新聞、映像、書籍、インタビューなど、調査方法は多岐に亘ります。
特にインタビューは生の声のため、まだ知られていない最新の情報が得られるかもしれません。
調査を行ったら、信頼できる情報かどうか必ず確かめましょう。
デマ情報を掴まされては、そもそも「ノンフィクション」たりえるかどうかさえ危うくなってしまいます。
ネットに比べ、新聞や書籍は高い信憑性が期待されるため、頼ってみるのがいいでしょう。
もちろん、各媒体の特性を踏まえたうえで、例えば新聞でも複数のものを比較することは重要です。
いついかなるときも情報を鵜呑みにしないことが、徹底した調査の鉄則です。
この作者には、もう一度、ここから始めて欲しい。
幻冬舎から本を出したければ、読んでください。
お金取って記事を書いているんだから、そのヘンしっかりしてもらわないと。
まぁXのコメントは、どうしようもないけれども。
【今日の独り言】
まぁ、私も推しがいるので、そこまで公平にはなれないが、オフィシャルに語るのは、
どうかと思います、という事です。
ちょっと久しぶりに腹が立った。