あれから10年。
早いのか、ずいぶんと経ったのか。
今日は、東日本の震災とは切っても切れない羽生さんが
テレビにバンバン映し出されていた。
ソチの時から羽生さんは、東北の震災について心を痛めているという
発言が多かった。
自分も被災しているから。
確かに羽生さんの活躍に、勇気づけられている人は多い。
でも私はちょっとだけ、違うと思うのだ。
アスリートは、他の人のために競技をやっていてはいけない、と。
好きだからやってほしい。
ファンとしては嬉しくない訳ではないだろうが、そこまで心を痛められると
見てる側も辛くならないだろうか。
テレビの編集のせいなのか、平昌も震災の事が、心にあったという事がアナウンサーによって語られていた。
本当にそうだったのか?
ソチは震災後、結構早い時期だったので、羽生さんの心を大きく占めていたかもしれないが、平昌はどうだろう。
だって「負けるのであれば、棄権しようと思っていた」と言ってたから。
勝たないと東北の人のためにならないのか、
それとも棄権することが、東北の人のためになることだったのか。
私にはよくわからない。
あんなに「勝ち」にこだわる彼が。
「負けは死も同然」と言い切る彼が。
私は羽生さんはそんな事考えず、スケートに向き合ってくれるといいと思っている。
もちろん羽生さんだけでなく、他のアスリートも同じだ。
自分のために勝ちを目指すべきだと思う。
私もネイサンが「ファンのために金メダルを」とか言ったら、
「え~マジで?勘弁して」と思う。
(もちろんご両親のためなら、いいのだが)
自分が好きで、勝ちたくて、自分の納得のいく演技ができて、ネイサンが満足してくれることを願っている。
その喜びが、私たちファンの力になっているのだから。
勝手におこぼれをもらっているだけなのだから。
良くも悪くもアスリートはある程度、「自己中」な部分がないといけないのではないかと思う。
そんな競技上で博愛精神を出してたら、勝つものも勝てない。
なので、羽生さんの過度はパフォーマンスには、眉をひそめてしまうのだ。
正直、現役のフィギュアスケーターの中でも羽生さんの「勝ち」に対する執着心は、
世界一ではないかと思っている。
ちょいちょいはみ出しているよ。
アスリートはそれでいいし、そうでなくちゃ。
まぁ、マスコミがキリトリして、編集している可能性もあるけど、「らしい」ことを言っているから、切り取られちゃうんですよね。
もっと自分のために。
それが10年目に感じた、私の個人的な意見です。