NHK杯、男子FSからエキシビションから二つ夜が明けました。
そしてみなさん岐路に着き、だいぶ落ち着かれたかと思います。
(私が落ち着いてなかったんじゃろ?)
色んなコメントがSNSで出てきて、記事も出て、色んな憶測を産んだり、
フォロワー同士、衝突もあったように感じました。
昨夜は昌磨の成長を感じたなぁとも思ったのですが、
沢山の情報の渦に紛れて、もっと率直な昌磨のコメントを
見過ごしていました。
鍵山への敬意を念頭に「今日も昨日も優真君の演技が本当に素晴らしかった」「彼にたくさんの称賛を送ってほしい」と称え、判定についても「人がつけるものなので、文句も言いたくない」と尊重。自らの力不足を認めた上で、終始言葉を選びながら落ち着いた口調で「試合に出る意味を揺るがされるような試合になった」「この基準になるなら、ここが僕の限界。これ以上、僕に先はないと思わされる試合だった」とも語っていた。
最後に「一夜明けてまだ何か思っていたら、何か喋りたいと思います(笑)」と話し、迎えた一夜明けの取材だった。
自分が取りこぼしたコメントだった。
「試合に出る意味を揺るがされるような試合になった」
とな。
限界とか、これ以上僕には先はない、というのは見ていた。
それもびっくりしたが、試合に出る意味、という言葉の重みが、改めて
私の胸をえぐった。
採点に不満がある、とか基準が変ったので、混乱している、というだけでない。
ジャッジはそのままであるなら、試合に出ても意味がない、という事。
今夏、表現力というものをテーマに置いて、努力してきた。
それがこの試合である程度の成果を見たが、その代替というのか、
技術面で、マイナスを喰らった。
しかし、これは今後の基準だけでなく、今までそうだったけれど、見逃していたよ、というコメントを含むのであれば、昨年までの昌磨の「技術面の強化」「ネイサンのような選手に」という努力が、帳消しになってしまったと思ってしまわないか、という
深読みまでできる。
老化なら致し方ないが、昨年と今年の昌磨のジャンプがそんなに劣化しているとも
思えなかったから、なおさらだ。
しかも、今までできなかった、4Tのリカバリーまで出来るようになったのは、
ある意味では進化と感じていたからだ。
会場のどよめきからも感じられたし、解説の本田さんのコメントでも感じた。
パトリック・チャンが、ソチくらいからジャッジが味方ではなくなった、という事を
言っていたのを思い出したが、あの時期、パトリックが劣化していたとも思えなかった。
むしろピークだった気がしていた。
羽生さんの台頭でジャッジの傾向が変ってしまったのか、とも取れた。
改めて、ぞっとしている。
私は、グルノーブルに続いて、このNHK杯で、二度目の昌磨のターニングポイントに現地で遭遇してしまったのではないかと。
やはりジャッジの統一感というのは、重要で、採点ルールを変える時は、
しっかりと通達すべきだと痛感する。
フィギュアがアマチュアスポーツである限り、もっと連盟や競技の主体団体は
選手を守るべきではないかと思う。
プロなら自身で取りに行く事も、アマチュアでは出来ないことも多い。
人間なので、劣化はする。
それは仕方ない。
ただ、採点競技というのは、タイム競技とか、ゴルフのように何打で回るか、
テニスのような競技ではないので、ジャッジの匙加減のところが多い。
だからこそ、もっと説明と基準を明確にすべきだと思う。
負けて競技から去る選手が、納得感をもって去る事ができるかどうか。
自身の競技の勝敗ではなく、他者の気まぐれなジャッジによるなんて、
最悪だ。
ボランティアでやってるかどうか知らないが、だからといって生半可な対応で
やるのは、素晴らしい選手を葬り去るという事に繋がるというのを
心してほしい。
そしてジャッジひとつで、要らない争いが、いたるところで勃発し、
スケオタの心を荒廃させる。
もう二度と真央ちゃんの引退時のような気持ちを味わいたくない。